1.感覚分野での認識
本論に入る前に、認識について改めて説明しておく。認識は、たとえば思考過程で形成される認識は、脳内における複雑なネットワークにおける無数の連携を経て形成される。つまり、一般的には認識の形成には非常に多様な要素が係わる。しかしながら、感覚分野での認識に限れば、感覚情報に由来するといえる。
味の分野における認識を感覚・知覚・認知に分けると、感覚の味(例:甘味)の認識は特に単純で、感覚情報が全てといえる。知覚の味(例:優しい味)の認識も感覚情報に由来するといえる。認知の味(例:カレーの味)の認識は記憶との照合も係わるので単純ではないが、感覚情報の認識の延長線上にあるといえよう。
2.認識と言葉の関係
認知言語学によれば、言葉は脳に形成されている概念を記号化したものである。そして、概念は認識を基盤に形成される。認識から概念が形成される過程はほとんど解明されていないし、一般的には複雑であると推定されるが、感覚分野に限れば、認識から概念が形成される過程は単純と考られる。すなわち、感覚分野では、言葉は認識が(概念を経て)記号化されたものといえる。
端的にいうと、感覚分野における言葉は認識の表出である。認識の表出といえば、従来は生理学的事象ばかりが注目されてきたけれども、これを認識の生理学的表出と呼べば、言葉は認識の言語的表出と呼べる。
3.味を表す普通の言葉と味の認識
言葉が認識の言語的表出だとすれば、味の言葉の存在は味の認識が存在する根拠となるはずである。自然科学的な意味での根拠にはならないであろうが、人間科学的な意味での根拠にはなる。とはいえ、そのまま成り立つわけではない。既に、言葉と認識の関係を味の言葉と味の認識の関係に特定しているが、必要な条件はこれに留まらない。
まず、「味の言葉」を「味を表す言葉」に限定する。というのは、味の言葉には味を表す言葉(味名)とともに味を表現するだけ言葉(味語)も含まれるためである。味語は味を表現するだけであり、味の認識を反映していることを明示しない。一方、味名は味が下に付く用語なので、味の認識を反映していることを明示している。味の認識を反映していることを明示した言葉でないと、味の認識が存在する根拠とするのには不都合である。
次に、言葉を普通の言葉(日常用語)に限定する。すなわち、学術用語や専門用語は対象にしない。というのは、認知言語学でいう言葉は、実は普通の言葉を前提としている。つまり、「普通の言葉とは」のページで説明したように、言葉の成り立ちが学術用語や専門用語は日常用語と異なるのである。学術用語は、専門家が用語を提案し、提案時にその意味も定義される。すなわち、学術用語は普通の言葉と違って、認識の言語的表出とは限らない。専門用語についても、学術用語と同じように、認識の表出とは限らない。
ここで、普通の言葉は一般の人に広く使用されている言葉であることも含意していることを指摘しておく。このことは、日常用語が専門用語に比べて一般の人に広く使用される言葉であることから理解される。この条件は重要である。この条件を含めないと、味を表す普通の言葉が広く解釈されて、学術用語や専門用語でなければ、味を表す言葉のほとんど全てが、味の認識が存在する根拠になると理解されてしまう。
以上のことから、味を表す普通の言葉の存在は味の認識が存在する根拠になるという結論が導かれる。これを味の認識が存在する言語的根拠と呼ぶ。ただし、この説明文は全体に冗長でくどい。そこで、厳密さを必要としない場合には「の存在」と「の認識」を省略して、味を表す普通の言葉は味が存在する言語的根拠になると記述する。
(2020年1月作成)(2022年1月改稿)