1.物質的根拠のある味とは
物質的根拠のある味とは、「単独の化学物質が呈する認識であることを根拠にした味」である。ここでは対象を単独の化学物質に限定する。複数の化学物質による味を否定するわけではないが、議論を深めるためには、事を単純にする方が容易である。同じ理由で、高分子化合物も対象としない。
2.物質的根拠の要件
物質的根拠のある味の要件は、@味が下に付く用語である、A刺激物が単独の化学物質である、B化学物質と味の因果関係が明確である、およびC化学物質が呈する味名の信頼性が資料で確認できることとしている。Cについて、具体的には各資料に下表のような評点を設定し、判定基準値を評点の合計が10点以上としている。
味の場合には、対象物を舐めて適当な味名を付ければよいように思える。しかし、化学物質を舐めて基本味とは異なる味の存在を認識できても、それに新しい味名を付けることは、実際には困難である。味の認識が不確かなためである。そのために、上で示したような手法を採用している。ただし、この分野の研究が緒についたばかりの段階のものである。将来的に化学物質が呈する味についての知見が蓄積できれば、味の専門パネルが化学物質を舐めて、新しい味の名称を提案することができるようになるかもしれない。
資料の評点について、学術論文よりも公的資料を重視しているのは、味名の提案が優れた論文においてなされる状況にない事実に基づく。また、味質の説明が主要項目となっている公的資料には10点を付しているが、実際にはそのような資料は見つかっていない。つまり、これまでに一つの資料だけで採用した例はない。
3.確認している味
物質的根拠のある味としてこれまで確認しているのは、「味の一覧表」の本表にあるのが12味である。具体的には、甘味や苦味など「味覚性味」の5味、辛味や炭酸味など「表在感覚性味」の3味および渋味やえぐ味など「多感覚種性味」の4味である。別表にも爽快な甘味などの6味を挙げているので、合計18味になる。
18種の味のうち、生理学的根拠もある味は、「味覚性味」と「表在感覚性味」の8味である。言語的根拠もある味は、五基本味と辛味および渋味・えぐ味の8味である。物体的根拠もある味は存在しない。
4.物質的根拠の特徴
化学物質は、味の刺激物質であり原因物質ともいえる。認識される味を呈する化学物質が特定できれば、その化学物質が味の存在する根拠になることは明らかである。近代科学の要素還元主義とも符合する。
上述のように、近年の味の分野では、生理学的根拠が重視され、物質的根拠は看過され勝ちであるが、物質的根拠しかない味も存在する。具体的には、渋味とえぐ味、金属味およびアルカリ味の4味である。物質的根拠のある味を生理学的知見によって否定するのは無理がある。
次ページの物体的根拠と比べると、物質的根拠では物質そのものが刺激物であるのに対し、物体的根拠では物体に含まれる多種多様な成分の全体が一括して評価される。一方、物体的根拠の物体は人々の生活に馴染んでいるのに対し、物質的根拠のある味を呈する化学物質は日常生活ではほとんど触れることがない。味の分野には砂糖や食塩など実質的に化学物質といえる例も存在するが、それ以外は知識として知っているだけにすぎない。日常生活と遊離している事実は、物質的根拠のある味が、案外少ない理由と考えられる。
言語的根拠は特徴的なので、言語的根拠のページで説明する。
5.物質的根拠の妥当性
物質的根拠と生理学的根拠を比べると、生理学的根拠の方が妥当性は高いとされている。このことは、物質的根拠のある味であっても、必ずしも味と認められないことからも明らかである。とはいえ、近代科学の進歩により生理学的知見が得られる前から、砂糖や食塩が甘味とか塩味の呈味物質として知られていた。生理学的知見の蓄積・深化が進むにつれて、生理学的知見の方が重視されるようになったけれども、物質的根拠も妥当性のある根拠であることは疑いない。
物質的根拠と物体的根拠を比べると、物質的根拠の方が妥当性の高いことは説明するまでもないであろう。
(2023年11月作成)