1.味にも名前は必要
我々は自分の名前を持っている。駅や学校あるいは病院にも名前がある。言葉という便利な道具を使っていると、名前がないと人とのコミュニケーションに何かと不都合である。
感覚分野でも、名前がないと不便である。感覚の認識であっても、それを人に伝えるためには言葉が必要である。このために、色の分野では原色名や基本色名だけでなく、慣用色名を活用している。香りには、基本香名は見当たらないが、分野毎に工夫された多様な香名を活用している。
ところが、味の分野ではどういうわけか、基本味だけに限定して、その他の味の存在は否定しようとする。生理学の専門家同士の議論ではそれで構わないのであろうが、味は日常生活に密着した用語なので、基本味だけでは不十分である。味は食品のおいしさに最も重要な要素なので、食品(料理)のおいしさを人と共有するためには、味の名称が不可欠である。消費者だけでなく、おいしい食品を提供する事業者にとっても同じである。
2.生理学的根拠の活用状況
従来、感覚に由来する認識が存在する根拠にされてきた方法は二つある。一つは、生理学的根拠である。生理学知見に基づいた名称は自然科学的見地からも合理的である。感覚の認識には、受容体が重要な役割を担っている。
味の分野でも味名に生理学的根拠が活用されている。ところが、この標準によると、感覚レベルの認識だけに限定される。しかも受容体は味覚受容体に限るので、甘味・塩味・酸味・苦味・うま味だけが味名とみなされている。知覚レベルや認知レベルの認識の名称には、生理学的根拠は活用できない。このために、色では赤色・緑色・青色だけが原色とされる。そして、香りでは生理学的根拠に基づく香名は知られていない。
3.物質的根拠の活用状況
感覚に由来する認識が存在する根拠にされるもう一つの方法は、物質的根拠ある。上述の慣用色名では標準物質(物体)として色票を提示できるように、視覚・聴覚・触覚の物理感覚分野では標準物質(物体)を根拠にできる。ここで大切なことは、物理感覚では認識が確かなことである。確かな認識を言葉にするので、言葉に制約が小さい。色票に適当な色名を付けておけば、その色名で認識の共有が可能である。
味では、物質的根拠による味名も、現在のところ基本味だけに限られる。官能評価分野では、多様な味名が活用されている。また、日本では一般社会でも多くの味名が活用されている。これらの中には味といえるものも含まれているはずである。物質的根拠による味名が認められないのは、味は認識が不確かなために、基本味だけが味という通説に対抗できる説得力のある説明ができないためと考えている。物質的根拠による味名の提案は、今後の重要な課題となっている。
なお、同じ化学感覚である香りでは、物質的根拠に基づいた名称が活用されている。とはいえ、香りで活用されているという理由だけでは、味で活用できることにならない。というのは、香りの場合、香りは基本香だけというような自縄自縛がない。
4.言語的根拠の必要性
以上のように、生理学的根拠と物質的根拠では、味は五基本味だけという通説の弊害を打開できない。そこで提案したのが、言語的根拠に基づく味名である。
味の言語的根拠は、味を表す普通の言葉の存在に基づく。言葉を根拠にすることには違和感があるかもしれないが、言葉は認識を(概念を経て)記号化したものなので、肝心の認識と言葉の距離は近い。味を表す普通の言葉は、味の認識を反映している。言語的根拠によれば、不確かな認識を確かな言葉で補う。その意味で、物質的根拠に頼るよりも、合理的な面がある。また、味を表す普通の言葉は使用頻度が高いという条件を満たすので、客観的でもある。感覚は人の認識なので、認識を反映した言葉をこれまでに活用してこなかったのは、不思議ですらある。
なお、言語的根拠にも限界はある。生理学的根拠や物質的根拠で合理的に説明できる認識であれば、言語的根拠は必要ないかもしれない。その理由は、味を表す普通の言葉が一意には定まらないことである。活用できる言葉は、採用した指標や設定した判定標準値に依存する。とはいえ、自然科学的ではないが、人間科学的には許容の範囲内にある。味は自然科学の対象であるとともに人間科学の対象でもある。また、言葉は言語ごとに異なるので、日本語の味の名称は国際的に通用しない問題もある。ただし、物理感覚の名称であっても、程度の違いはあれ、同じ問題を抱えている。
(2022年1月作成)