味と味わいの古語は、“あぢ”と“あぢはひ”であった。中国から味の字が伝わると、味は主にあぢはひと読まれた。あぢに官能特性の意味があったかは不明で、新明解古語辞典が説明しているように「物事がうまくはこんだときに使う」語だった可能性が高い。一方、あぢはひには官能特性の意味があり、日本書紀に登場する「鹽酢之味在口不嘗」の味はあぢはひと読むのが定説である。また、中世に編集された多くの節用集をみると、味の振り仮名は専らあぢはひである。
二つの言葉が別の項目として登場する辞書は、日葡辞書を嚆矢とする。とはいえ、その語釈は味が「sabor(savor)」と「gosto(gusto)」で、味わいは「gosto」と「sabor」なので、順序が入れ換わっただけである。ポルトガルの宣教師には、味と味わいは区別が明確でなかったと推察できる。
味が味わいと同じように官能特性も意味するようになったのかは明らかでないが、中世以降とするのが通説である。つまり、5味の考え方が定着した頃ということになる。味と味わいが明確に区別されたのは、19世紀以降であろう。19世紀後半には味覚が登場したことに牽引されたと推察している。
味と味わいの関係は香と香りの関係を連想させる。どちらも後者は動詞の連用形が名詞化した語で、前者は後者の語幹だけで別の名詞になっている。ただし、味と味わいの意味が一応区別されているのに対し、香と香りは意味の区別がなく、用法の違いだけといえる。一方で、一緒に並べられるのは、いつも味と香りである。
味と味わいはほとんど同義語であり、味わいと風味はほとんど同義語である。しかしながら、味と風味は区別されている。つまり、味わいは味と風味を繋いでいる。どちらかというと、味わいは風味に近いかもしれない。味には良い悪いがある。ところが、味わいと風味にはその区別はなく、常に好ましい。だから、味わいと風味は、味わいがあるとか風味があるとしか言わない。
味と味わいの重要な違いは二つある。一つは、味が認識の結果だけであるのに対し、味わいは認識の過程も含むことである。この違いは、味わいには、動詞「味わう」の意味合いを残しているためと考えられる。具体的にいうと、味わいは主体的に注意深く認識する。もう一つは、味わいは味よりも心理的側面のウエイトが高いことである。
最後に言及したいことがある。味わいに基本味や辛味・渋味が含まれるかは、現在では曖昧である。ただし、5味の時代には、「あぢはひ」に甘味や辛味が含まれていたと信じられる。この事実を指摘する人もいないので、何時からそうなったのかは不明である。味には言うまでもなく、基本味や辛味・渋味が含まれる。
(2019年12月作成)(2021年6月改訂)