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味を意味する言葉を持たない言語



1.3つの例
 世界的にみると、甘味やとか苦味のような、味を意味する語を持たない言語もあるという。たとえば吉田は1)、「パプアニューギニアのドゥランミン族の言葉には、味については良い(usamate)と悪い(alewola)しかなく、味特有の語はない」と説明している。

 また、高嶋は2)、「中国貴州省の少数民族ブイ族のブイ語には、味という意味の語がなく、中国語で味の語彙の収集を試みたが、“おいしい”という返事するばかりであった」と報告している。

 さらに小俣は3)著書で、Myersを引用して「ある種の未開人は、味覚について二つの種類の表現、pleasant(快い)とunpleasant(不快な)しか使わないであろう」と記述している。

 以上の3つの報告は、味(の認識的側面)を意味する言葉が生まれる前でも、味が良い(おいしい)と悪い(まずい)という言葉が存在する点で共通している。

2.味を意味する言葉を持たない言語が存在する意味
 言葉は、神から与えられたものではなく、人類の創造物と考えられている。世界には5,000種以上あるといわれる言語の存在は、言葉がそれぞれの地域・民族で別々に発展したことを示している。当然発展途上段階の言語も存在しており、味を意味する言葉(概念)を持たない段階の言語が存在することは、不思議なことではない。

 ここで注目したいことは、そのような言語からみた、おいしさと味の関係である。上の三氏の観察は、おいしさと味が密接に係わることを前提としている。つまり、味とおいしさは表裏一体と理解できる。そして良い・悪いは、おいしさの初期的な表現といえるであろう。良い・悪いはおいしさに特化した表現ではないが、少なくとも食事の場面ではおいしさを表現している。だから、味の用語を収集しようとしても、代わりにおいしさの初期的表現である良い・悪いと回答されるのである。

 つまり、言語形成の初期段階において、おいしさを意味する言葉が味を意味する言葉に先行することを示している。より正確に言い換えると、味の情感的側面を意味する言葉が認識的側面を意味する言葉に先行している。

1) 吉田集而:調味文化論, 美味学, 増成隆士・川端晶子(編),建帛社, pp.241-267 (1997).
2) 高嶋由布子・梶丸岳:味ことばの対象調査, 日本語とX語の対象, 野瀬晶彦(編), 三恵社,
  pp.117-128 (2011).
3) 小俣靖:“美味しさ”と味覚の科学, 日本工業新聞社, p.108 (1986).

(2021年6月作成)