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コク味の認識形成とCaSR


1.言葉としてのこくの限界
 
こくは、中国から酷の字が「こく」の音を伴って伝来した。該当する大和言葉なかったためであろう。漢字を平仮名に変えたが、そのまま定着した。中国では酒質の特徴を意味していたので、清酒のきき酒用語にあるこくが古い使用例であろう。現在では、こくは「よく煮込まれた食品や長期熟成された食品がもたらす特有の味」と理解されている。旨味も認識がかなり曖昧であるが、こくは認識がさらに曖昧である。それでも、多くの日本人はこくを案外正確に捉えているという。
 とはいえ、食べ物に関する日常用語の常として、こくの意味も広くて曖昧である。その対象食品も清酒からスープやカレーなどにさらにはチーズやワインなどにも広がって、食品ごとに同じ意味で使用されているか疑わしい。
 こくは、日本人が研究面でもパイオニアの役割を果たした。具体的には、上田が1)コク味寄与物質の存在を明らかにし、大洲が2)こくの発現に関与する味覚受容体であるカルシウム感知受容体(CaSR)の活性化にアゴニストも有効であることを明らかにした。これらの成果に触発されたように、「こく」をターゲットにした商品開発が進んだ。その結果、こくの意味が拡散しますます不鮮明になった。こくと食品のおいしさの関係を理解するためには、こくを日常用語のままで活用するのは不適切である。

2.コク味の導入
 
 以上のような状況を打開するためには、意味を特定した専門用語の導入が必要である。導入する用語をコク味と名付け、「認識形成にCaSRが関与する部分のこく」と定義した。ここにCaSRとは上述のようにカルシウム感知受容体である3)。なお、こくの認識形成にカルシウム感知受容体が関与することには違和感があろうが、大洲らの報告は信ずるに足るので、この分野の常識になっている。上の定義では、コク味がこくの一部であることを明示している。また、コク味の名称はコク味が味の一種であることを指摘している。
 コク味を導入することにより、多様なこくのうち、CaSRが関与する部分だけに特定することができた。その結果、食品のおいしさとの関係を説明しやすくなった。

3.グルタチオンによる食品のおいしさ向上効果
 こくだけでなく、食品のおいしさの意味も曖昧である。食品のおいしさの場合はしばしばおいしさと区別されない。食品のおいしさも考察が可能なように規定しておく必要がある。コク味の場合、添加物はあまり使用されないのであるが、グルタチオンが代表的なコク味寄与物質である。したがって、「グルタチオンによる食品のおいしさ向上効果」とした。これまでは、食品のおいしさを「コクの3要素」4)とか「基本味増強」5)で説明してきた。これらで「グルタチオンによるおいしさ向上効果」を説明できるかの問題になる。前者はこの課題に対する回答というよりこくの味質特性を表したものであり、後者の説明は実験結果の裏付けがあるとはいえ、副次的な要因にみえる。それよりもコク味が「グルタチオンによる食品のおいしさ向上効果」の中核的要因とみなす方が自然である。

4.コク味の認識形成におけるCaSRの役割
 この分野では、コク味があたかも感覚の味のように説明される。グルタチオンが一般にコク味物質と呼ばれるのも、誤解の一端である。
 このことをわかりやすく説明するために、下図の「コク味の認識形成におけるCaSRの役割の模式図」を作成した6)。この種の説明では刺激物であるグルタチオンを重視することが一般的であるが、ここではCaSRを中心に据えている。グルタチオンにより活性化されたCaSRはシグナルであるカルシウム味情報を発出し、単独ではカルシウム味を与える。これに加えて、カルシウム味情報は食品からの嗅覚情報や味覚情報(うま味情報)および体性感覚情報と脳内の眼窩前頭皮質で統合されてコク味が形成される。すなわち、カルシウム味が感覚の味で、コク味は知覚の味である。コク味は知覚の味なので基本味ではない。けれども、日本語では味(英語ではflavor)に含まれる。
 上では触れなかったグルタチオン味について補足しておくと、グルタチオンはCaSRを活性化するだけでなく酸味受容体も活性化する。したがって、グルタチオンが呈するのはカルシウム味でなく、カルシウム味と酸味の混合味である。なお、このグルタチオン味は味名と呼べないであろうから、仮称としている。

5.無視されてきたカルシウム味
 上でも説明したように、グルタチオンにより活性化されたCaSRはシグナルであるカルシウム味情報を発出し、単独ではカルシウム味を与える。ところが、この分野ではグルタチオンが閾値以下の濃度でコク味を誘導できることが強調されて、カルシウム味の発現が看過される。積極的にカルシウム味は呈しないと主張されることもある。とはいえ、下図が示すように、カルシウム味が脳内に形成されることは疑いない。通常は、それが閾値以下であっても。



           コク味の認識形成におけるCaSRの役割(模式図)

参考文献
1)Ueda Y, Sakaguchi M, et al.: Characteristic flavor constituents in water extract of garlic, Agric Biol Chem, 54 163-169 (1990).
2)Ohsu T, Amino Y, et al.: Involvement of the calcium-sensing-receptor in human taste perception, J. Biol. Chem., 285, 1016-1022 (2010)..
3)Brown KM, Gerardo G, et al.: Cloning and characterization of an extracellular Ca2+ -sensing receptor from bovine parathyroid, Nature, 366, 575-580, (1993).
4)西村敏英:食品のコクとその生成メカニズム, 食品のコクとは何か, 西村敏英・黒田素央(編), 恒星社厚生閣, pp.1-21 (2021).
5)Kuroda M.: Mechanism for Perceiving Kokumi Substances, Kokumi Substances as an Enhancer of koku, edited by Kuroda M, Springer, pp.133-144 (2024).
6)柳本正勝:コク味の認識形成におけるCaSRが果たす役割の考察, 日本食品科学工学会第72回大会発表(2025),(講演要旨集は、学会HP/年次大会/大会講演要旨集(2026年8月公表予定))

(2025年10月作成)