安全・栄養・おいしさは食品の三大要素(役割)である。このうち安全は食品の機能ではないという意味で、他の二つとは異質である。したがって、おいしさと並べて論ずるのは栄養が相応しい。ところが実際には、おいしさと安全が対で論じられることが多い。食品企業のキャッチフレーズとしては、安全とおいしさが重要な要素となっているためであろう。「安全でおいしい当社の食品」は食品企業の広告の決まり文句である。
食品の要素の意義を論ずる場合、安全の方が断然分が良い。比較にならないと言っていい。安全分野の先生には「おいしい物には毒がある」というように、おいしさを否定的に捉える人もいる。おいしさ分野の研究者で安全を軽視するような意見を言う人を見たことがない。
一方、商品としての競争力は価格と品質(おいしさ)が二大要素と理解されている。食品の販売に携わる者は、安全性は義務にすぎず、販売促進で重要なのは価格とおいしさと信じているようにみえる。消費者が本音のところでおいしさを大事にしていると確信しているためである。
実際、消費者はおいしさを大事にしている。グルメはテレビにおける人気番組の一つである。雑誌もしばしばグルメ特集を企画する。おいしい店情報は、職場における日常会話の定番である。安全に関しては、NHKが偶に特集を組む程度である。
「おいしいものは安全である」とは必ずしもいえない。人類には急性毒性を警戒する仕組みは備わっているけれども、慢性毒性をもたらすような危害物質を警戒する仕組みは備わっていない
からである。そのような危害物質が含まれていてもおいしく食べることができる。その代わりに、人類は慢性毒性をもたらす危害物質をリスク評価する試験方法を開発してきている。その知見に基づいて慢性毒性をもたらす物質
の摂取を回避する必要がある。
一方、「安全なものはおいしい」とは、もっといえない。食品をおいしくする技術と食品を安全に保つ技術は当然異なる。この事実は一般の人には当たり前のことであるが、食品衛生関係者は「安全なものはおいしい」と信じている
ようにみえる。安全であることはおいしいことの必要条件であるが、十分条件ではない。
逆説的に「安全でないものはおいしくない」については、危害要因が急性毒性物質だとすれば、概ね当てはまる。人類は急性毒性を警戒する仕組みを身に付けている。たとえば毒のある成分は通常苦味を伴う。これに関し、味はおいしさ
との関連で語られることが多いけれども、5味の1つの苦味はおいしさよりも安全に係わる
。また、嗅覚も臭いは腐敗または劣化して危険かどうかの方が主たる役割で、おいしさとしての香りはむしろ従である。このようにしてみると、おいしさを感じることと急性毒性への警戒は隣り合わせであることに気付く。
危険な成分が含まれていなくても、危険という情報だけでおいしさを著しく損なう。実際に危害物質が含まれているより効果が高い。これはおいしさが人の心に係わることの反映である。
食品の品質に関し、経験則がある。農林水産省関係の資料に農産物の品質と書いてあると、農産物のおいしさのことを指している。ところが厚生労働省関係の資料で食品の品質というと、安全性を指している。