嗜好とは、広辞苑では「たしなみこのむこと、このみ」と語釈されている。新漢和辞典では「たしなむ。特にこのむ。たしなみ。このみ」となっているので、ほぼ同じ説明である。
おいしさ(palatability)と嗜好(preference)は、似ているところもあるが、明確に区別できる。おいしさは食べている時の快感情であり、嗜好は食べる前の好感情または摂食意欲である。ところが、どういうわけか、専門家が案外区別しない。専門家がしばしば混同するのは、動物試験でラットがたくさん食べる食品(餌)はおいしいとみなしているためと推量している。
おいしさと嗜好には、相互作用がある。すなわち、食べておいしいとそれが好きになり、好ましい嗜好が形成される。好ましい嗜好が形成されたものを食べるとおいしい。そうすると、その食品が益々好きになるのである。食べておいしかった経験は、その食品に対する嗜好形成の重要な因子である。
嗜好とは、脳に蓄積された記憶に外ならない。記憶というと、無機的な情報の集積という印象があるけれども、それは学校での試験勉強の弊害で、通常は感情が伴っている。記憶には短期記憶と長期記憶があって、短期記憶は海馬に、長期記憶は側頭連合野に保存されている。好ましい嗜好形成は、嗜好学習と呼ばれる。嗜好学習は即効的なこともあるが、多くの場合は好ましい経験の積み重ねで形成される。一方、嗜好学習の反対は嫌悪学習である。嫌悪学習は、嗜好形成と違って、一度の悪い経験でも形成される。嫌悪学習の典型的な要因は食中毒などによる体の変調である。安全や健康に関しては、悪い情報だけでも強く影響される。また、嫌悪学習の効果は持続的である。
嗜好は、おいしさだけで形成されるわけではない。つまり、生活規範、食知識あるいは人の属性などの影響も受ける。だから、地元の農産物と聞けば、その特徴を好きになろうとするし、体に良いことが実感できると、その食品に対する嗜好が形成される。
嗜好と似た言葉に好みがある。好みと嗜好は、ほとんど同義語であるが、敢えて区別すると、好みは日常会話の用語で個人を対象にすることが多い。これに対し、嗜好はやや専門用語で、集団を対象とする傾向がある。
嗜好には表記の問題がある。すなわち、嗜好の「嗜」は常用漢字に含まれていない。したがって、嗜好の表記は、専門分野以外では使用しないように求められている。つまり「し」と発音して且つ似た意味の漢字を常用漢字の中から見付けることができなければ、「し好」と表記する必要がある。