おいしさの探究に戻る

おいしさと栄養


  安全・栄養・おいしさは食品の三大要素で、このうち食品の機能を示すのは栄養とおいしさである。食品の機能は、第三の機能としての体調調節機能が提唱されて以来、改めて注目されている。

  食べることは栄養を獲得することが目的なので、栄養の重要性は論を待たない。特に食料確保が不十分だった時代には、食糧を増産して国民が最低限の栄養を確保できるようにすることが国家的課題であった。一方、おいしさは富裕層が楽しめることであって、いわば秘め事であった。

  栄養には学問分野として栄養学があり、国の研究機関として国立健康・栄養研究所があり、国家資格として栄養士がある。これに対し、おいしさには、学問分野としてのおいしさ学はない。国の研究機関においしさの研究所はもちろん、研究室単位でみても ずばりの研究室は見当たらない。そして、国家資格としての「おいしさ士」はありそうにもない。ただし、これは公的な機関・制度についてである。民間に目を向けると、おいしさ研究所または同種の研究所を設置している企業が少なからず存在する。また、おいしさに関連する民間資格には、分野毎にソムリエ、唎酒師、野菜ソムリエなどがある。

  人には必要な栄養素をおいしいと感じる仕組みがあるとされている。その仕組みは味と栄養成分との関係にあり、甘味はエネルギーの存在、うま味はアミノ酸の存在、酸味は 酸類の存在 、そして塩味はミネラルの存在を感じ取っているとされる。それぞれに人に不可欠な栄養素である。ただし、人に必要な栄養素は、厚生労働省の「日本人の食事摂取基準」によれば35種類あるので、味で感知しているのは 必要な栄養素の一部であることに留意したい。また、苦味は栄養素のためでなく毒物の存在を感知するためと考えられている。だから好ましくない味である。

  一方、おいしさの栄養への効果については、おいしく食べると消化が良くなり、栄養成分の吸収が良くなるとされている。

  おいしさと栄養が相反するとの指摘がある。おいしいと食べ過ぎるという指摘と、おいしい物ばかりを食べると栄養摂取の偏りが出るとの指摘である。前者に関し、おいしいと食べ過ぎるのは、普段は質素な食事で我慢していることの裏返にすぎない。また、質素な食事で量も我慢するよりはおいしい食事で量は我慢する方が実践は容易だと考えられる。後者の栄養摂取の偏りに関し、食卓にはおいしい料理が一品しかなければ、そのような懸念も想定できるが、おいしい料理が複数並んでいれば、必ずしも全部の料理を食べる必要はない。必要なことは栄養バランスにも配慮することで、おいしい物を忌避することではない。食事を楽しむことは、非常に大切である。

  栄養は食品による人の体への効果であり、おいしさは人の心への効果といえる。人間にとって体の充足と同じように心の充足も重要である。特に21世紀は心の時代といわれている。職場や家庭を黙々と支えている普通の人にとっては、3度の食事を楽しんで心を癒すことが、食事で体の糧を得ることと同じように大切である。


(2014年4月作成)(2020年6月訂正)