嬉しい時に食べると何でもおいしいし、悲しいときは一般的にまずい。また、おいしい物を食べると嬉しくなり、まずい場合は嫌な気分になる。
おいしさが心理状態に影響されることは、誰でも経験的に知っている。しかし、おいしさと心理状態はどちらも感情なので、区別するのが難しい。このためであろうが、この分野の研究はほとんど進んでいない。おいしい時の快感情と良い情報に接した時の快感情の異同すら語られることがない。
おいしさと心理状態の関係は双方向である。別に述べてある「おいしさと嗜好」の関係よりも密接であるために、どちらが原因でどちらが結果かの区別も明確でない。
快・不快の程度が強烈な場合は、心理状態はおいしさに決定的に影響する。たとえば、今までにいちばんおいしかった料理を思い起こしてもらうと、とりわけ嬉しかった時に食べたものでないだろうか。そして悲嘆にくれている時は、ご馳走を食べてもおいしくなかったはずである。一方で、平素の食事では心理状態の影響は小さいので、おいしさは食味の良否でほとんど決まってしまう。
味やテクスチャーに代表される食味の改良は、食品事業者の重要な関心事である。食味が劣る時は食味の向上が比較的容易であるが、食味がある程度以上のレベルに達すると、摂食者の好みの影響が大きくなってきて、
食味を向上させることは大変難しくなる。したがって、食味よりも食事空間を改良する方が容易でかつ確実である。ここに食事空間の改良とは、摂食者の心理状態を改善させることに外ならない。高級レストランや高級料亭が食事空間を大事にするのは、このためであろう。レストランのレベルの違いは、料理の食味よりも食事空間の方が大きい。
おいしい物を食べると嬉しくなるだけでなく、人に対しても物事に対しても寛容になる。この事実を活用して、ビジネス社会でも相手の意向を打診するような場合には、会場を会議室でなくレストランに設定している。
食べ物のおいしさは食味試験(官能試験)で測定できると信じられている。食味試験を実施する際には、ノイズを消去するために、パネラーの特性や食事空間に充分に注意が払われる。この分野で遅れているのは、摂食者の心理状態の影響を消去することであろう。たとえば新製品開発では社内からパネラーが選抜されるが、そうすると個々の社員の傾向だけでなく会社の雰囲気にも影響される。このノイズを消去する方策は、聞いたことがない。