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おいしさと食欲


  食欲とは、食べたいという欲望であり、食べようとする意欲である。食欲をもたらす最大の要因は空腹である。

 人の心には、知・情・意があるとされてきた。この捉え方に従えば、おいしさは情であり、食欲は意である。知は知性・理性に通ずるので人間らしい心であるけれども、おいしさや食欲は動物的な心のように捉えられてきた。

 国民の空腹を満たすことは、行政の重要な課題のためか、空腹と満腹の脳内機序は比較的よく知られている。空腹であることを知らせるシグナルは、糖の血中濃度と考えられている。血中濃度が低いことをキャッチすると、脳内にオピオイドペプチドなどの摂食調節ペプチドが放出され、食べるように促す。これに応えて食べ始めると、脳内にベンゾジアゼピンやβエンドルフィンなどが放出されて快感が得られる。満腹になると食欲がなくなる仕組みはあまり研究されていないが、そのシグナルはやはり糖の血中濃度と考えられている。血中濃度が高くなったことをキャッチすると、レプチンなどの調節抑制ペプチドが放出され、摂食を抑制すると推定されている。なお、空腹と満腹を司る脳は、それぞれ視床下部腹外側核)と視床下部腹内側核である。

 食欲あるいは空腹が、おいしさの要因であることはよく知られている。食欲があれば何でもおいしい。おいしさの根幹には、食欲に応えることがある。そして、食欲の背景には空腹がある。食べることは異物を体内に取り込むことなので一面で危険な行為である。しかしながら、食べないと生きていくための栄養摂取ができない。このためと考えているが、空腹になると食べたくなり、空腹を満たすことで快感が得られる仕組みが我々の体内に備わっている。

 食欲がもたらすおいしさに、官能特性がほとんど係わらないことは、食品分野でおいしさに関心のある専門家には不満の種である。しかしながら、これはやむを得ないことである。食欲もおいしさも人に係わる要素である。食味や「おいしさ」が直接係わる場面ではない。食品は無難であればよいのである。官能特性が劣悪でなければ、おいしいと感じることができる。その理由は、前段で説明した通りである。

 逆に、おいしさが食欲を増進する要因になる場面もある。おいしそうな食べ物あるいは大好きな食べ物を目の前にすると、それを求めて食欲が高まることが知られている。典型的な場面としては、食事が終わった時でも好きなもの(特に甘いものとお酒)をみると、また食欲が出てくる。いわゆる別腹である。脳内の仕組みとしては、おいしいと報酬系のホルモンであるドーパミンが放出され、これを求めて食べようとすると説明されている。

 食品のおいしさが原因で食欲が増進する事実は、食品のおいしさをネガティブに捉える論拠にされることがある。すなわち、おいしい物は食べ過ぎるし、おいしい物ばかりを食べて偏食になると主張される。実際にこのような弊害も起きていることから、栄養指導などで食品がおいしいことを悪いことのように説明されるのも、故なしとしない。しかしながら、これは明らかに一面しか捉えていない。「おいしさの意義」で説明してあるように、普通の人にとっては、おいしい食事で心を癒すことが必要である。人類は人類になる前から常に飢餓と闘ってきたので、飽食に対処する仕組みが体内に備わっていない。食品が十分に確保できている現在が、恵まれすぎている。このことに感謝して、毎日体重をチェックするなどして、食べ過ぎに対処する必要が生じているにすぎない。まずい食品でしかも量も減らす食事だと、弊害の方が確実に大きい。子どもが好きな物しか食べないのは、おいしい食品に原因があるのではなく、好きな物しか食べない生活態度が問題なのである。


(2014年4月作成)(2020年5月更新)