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酸味

酸味とは「塩酸や硫酸が呈する味」である。一般的には、酸味とは「クエン酸や酒石酸が呈する味」とされるので、前者の説明には違和感があるかもしれない。しかし、後者の説明の方が正確でない。というのは、クエン酸や酒石酸などの有機酸は、たいてい酸味受容体以外の感覚受容体も活性化するためである。酸味は一般に有機酸の味とされるが、この意味では必ずしも適切な説明ではない。念のために付け加えると、前者の説明に登場する塩酸や硫酸はごく希薄な溶液である。濃塩酸や濃硫酸を口に入れると危険なことはいうまでもない。

酸味は、生得的に嫌われる味とされている。この事実を否定できないとしても、苦味と違って嫌われるだけの味ではない。たとえば、酸味調味料が幅広く使用されている。苦味調味料は使用されていない。また、古い時代には、好ましい味付けのことを「いい塩梅だ」と表現した。この梅は酸味素材である。また、酸味は食品の味全体を爽やかにする効果がある。さらに、酸味には代謝を促進する作用のあることが知られている。

 上では代表的な酸味物質としてクエン酸と酒石酸を挙げたが、代表的な酸味料の主成分は酢酸である。少なくとも日本人が最も好む酸味は酢酸と信じられる。JAS規格では、酢酸を含まないと食酢と呼べない。そして、二番目に広く使用されている酸味料はクエン酸である。何故この2つの酸が特に好まれるのかについては、ほとんど研究されていない。

 好ましい酸味を考えるうえで面白いのは乳酸である。乳酸は人類に馴染みの深い酸である。ヨーグルトや漬け物には乳酸が含まれている。人の体内でも生成する。にもかかわらず、酸味料として乳酸が利用されることはない。乳酸は、好ましい酸味ではないからであろう。鮨の酸味は酢酸であるが、これは現在の鮨のことであって、古いタイプの鮨(なれ鮓)の酸味は乳酸である。今日のにぎり鮨の隆盛は、酸味が乳酸から酢酸に代わったことに支えられたのである。

 酸味はしばしば腐敗のシグナルとされる。しかし、この説は怪しい。これは味覚だけしか視野にない者の見解である。というのは、食品が腐敗して有機酸が生成することはほとんどない。腐敗は一般にタンパクや油脂で起きるが、タンパクや油脂が腐敗すると悪臭が発生するので、舐めてみるまでもない。デンプンが腐敗することはほとんどなく、しばしば好ましい有機酸が生成する。デンプンの溶液に微生物が増殖することは時々あるが、その場合も外観でわかる。特殊な例として、清酒醸造で失敗して腐造すると乳酸が生成するが、この場合も臭いが酷くなる。酸味は、果実が未熟のシグナルとみなすのが自然である。人類というより人類の祖先にとって、果実が食べ頃かどうかは重要な情報であった。

 筆者らが行ったアンケート調査では、食品中の酸味が好ましく感じられるのは、みかんやりんごのように甘味が強い食品の場合であった1)。つまり、強い甘味と共存すると、酸味も好ましく感じられることを示している。

 日本では酸味というと一種類であるが、海外ではそうでもない。国際規格機関ISOの規格では2)、acidity(酸味)とsourness(すっぱ味)を区別している。この規格によれば、すっぱ味は味覚性複合感覚(gustatory complex sensation)であり、一般に嗜好的にはネガティブな味と捉えられている。このように説明されても、日本人は専門家でも区別が付かないのである。日本のJIS規格では、現在では酸味の英語はacidityとなっているが、古い版ではsournessとしていた。

 酸味と似た味には、微酸味(acidulous)もある。これはISO 5492の古い版3)とかイギリスのBS 5098にも同類の用語が採用されている。というのは、イギリスの方は「sourish」としている。日本語では「微かに酸みのある」くらいの意味であろうが、これも日本人には何故区別する必要があるのかわかり難い。

 酸味受容体は、現在ではOtop1とされている4)。かつては、PKD2L1/PKD1L3やASIC2などが有力で、全部で5種類あると推定されていた。研究は過去の知見を否定しながら進とはいえ、これほど知見が劇的に変わるのは珍しい。

 代表的な酸味物質の一つである酢酸を口にすると、濃度が薄いときは感じないが、濃くなると鼻につんとくる刺激臭を伴う。酸味料として最も好まれている酢酸に、刺激臭を伴うことは興味深い。酢酸の刺激臭は、あまり嫌われていない。

 甘味や苦味は「かんみ」や「くみ」として伝わったが、現在では「あまみ」「にがみ」と呼ばれている。甘や苦の訓読みに引き摺られたと推定できる。一方、酸味は現在も音読みの「さんみ」のままである。ただし形容詞形は「すっぱい」である。「酸っぱい」と表記されることも多い。酸味の読み方は、酸の訓読み(すい)に引き摺られない。

資料
1) 柳本正勝:5基本味の好ましさの分析, New Food Industry, Vol.57, No.11, 50-56 (2015).
2) ISO 5492:2008, Sensory analysis – Vocabulary
3) ISO 5492/4:1981, Sensory analysis – Vocabulary
4) Tu, Y. H., Cooper, A. J., et al.: Science, 359, 1047-1050 (2018).

(2017年1月作成)(2025年3月改訂)