辛味とは「カプサイシンやアリルイソチオシアネートが呈する痛覚性味」である。辛味は、かつて5味に含められていたが、現在の五基本味には含められない。
広辞苑には、辛味が“からみ”の項目と“しんみ”の項目に登場する。“からみ”の項目では「〔辛み・辛味〕(ミは接尾辞。「味」は当て字)@からいこと。また、その程度。からさ。」と語釈され、“しんみ”の項目では「〔辛味〕からみ。からい味」と語釈されている。つまり、広辞苑では、味を意味するのは辛味(しんみ)としている。
しかしながら、現在では、辛味は一般に“からみ”と読まれている。“しんみ”は、辛味が中国から伝わった時の読み方である。17世紀初頭における日本語を知る貴重な資料とされる日葡辞書(1603年)には、「carami(からみ)」の項目だけがあって、「しんみ」の項目はない。辛味を“からみ”と読むようになってから、既に長い年月が経っている。広辞苑には、社会の趨勢を考慮して欲しい。
英語では、pungentであるが、burningとかhotとも呼ばれる。国際規格のISO 5492(官能検査用語)では、pungent(辛味)物質として、mustard(芥子)やhorseradish(西洋ワサビ)とともに、vinegar(食酢)も挙げている。日本では、食酢にツンとくる臭いを感じる人はいても、辛味を感じる人はいない。
古い時代、辛いは、辛味だけでなく塩味や酸味も意味していた。塩味が現在でも塩辛いといわれるのは、その名残である。また、日本語で甘いの反義語は辛いである。料理での甘辛煮とは、砂糖と醤油で味付けした煮物であり、辛味が付与されているわけではない。醤油が呈するのは塩味である。清酒やワインには甘口・辛口があるが、辛口といっても辛味を感じるわけではない。むしろ、一般に酸味が強い。
辛味は、基本味でないことはもちろん、味でもないと主張される。その根拠は、辛味物質が味細胞にある味覚受容体に作用するのではなく、舌や軟口蓋など口腔内に所在する痛覚受容体に作用するためである。しかしながら、味覚受容体は口腔内以外にも、体内の十カ所以上で発現していることが分かってきた。それらの味覚受容体からの情報は、体内調節に活用されているが、味を呈することはない。そうすると、味を呈するためには、口腔内に所在する感覚受容体であることが重要なのであって、味覚受容体であることは味覚(味覚性味)を呈するための条件であると解釈できる。この事実を踏まえると、体の至るところで痛みを発揮する痛覚受容体が、口腔内に所在する場合は辛味(痛覚性味)を呈しているのは、理に叶っている。しかも、辛味を呈するのはカプサイシンやアリルイソチオシアネートなどの水溶性物質である。痛覚は一般に物理刺激(侵害刺激)によるが、辛味は甘味などと同じように化学刺激によっている。
日本人は、古くから辛味が味の一種であることに気付いていた。それが、この100年ほどの間は、生理学の進歩により味覚と痛覚は異なるので辛味は基本味でも味でもないという主張に沈黙を余儀なくされてきたにすぎない。生理学がさらに進歩した結果、辛味は水溶性物質が口腔内に所在する痛覚受容体に作用した結果生じる痛覚性味である、と主張できるようになった。
辛味受容体には二種類ある。一つは、唐辛子の辛味成分であるカプサイシンなどの受容体で、温度受容体とされるTRPV1である。TRPV1は9つある温度受容体の中で二番目に高い温度(43℃以上)を受容する。TRPV1は温度受容体であるとともに痛覚受容体としての機能も果たしていることになる。もう一つは、山葵の辛味成分であるアリルイソチオシアネートなどの受容体で、温度受容体とされるTRPA1(15℃以下)である。TRPA1も、TRPV1と同じように、温度受容体であるとともに痛覚受容体として機能も果たしていることになる。
このように、辛味には高温の温度受容体TRPV1が呈する感覚と低温の温度受容体TRPA1が呈する感覚がある。英語では前者がburning、後者はpungentと区別している。辛味は二種類あるようにみえる。ただし、このような指摘がされた例は見掛けない。
辛味が単独で好ましい味とされることはないが、辛味調味料ともいえる香辛料がたくさん存在している。少なくとも他の味と共存した条件では好まれていることがわかる。苦味や渋味も味に深みを与えるといわれるが、苦味調味料や渋味調味料は存在しない。
(2019年12月作成)(2021年12月改訂)